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2012年10月

2012年10月23日 (火)

大内わら工品様、ハウスのご寄付ありがとうございました!!

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今年の3月末から始動した「絆」循環プロジェクト」。当農場が借り受けた休耕地を「福幸ファーム」と名付け福島から避難してきた方々の協力を得ながら秋の収穫の最中ですが、この収穫期を前にした9月、とても嬉しいプレゼントがありました。

福島市にある大内わら工品様http://oowara.com/より、ビニールハウスを寄付していただいたのです。

それまでは当農場の作業場の一角を使ったり、畑脇の空き地の杉の木の下などを使って播種作業や出荷作業を行ってきましたが、いただいたハウスのおかげで、福幸ファームがとても農場らしくなりました。

作業場としてまた仕事合間の御茶飲み場所として大活躍しています。

震災&原発事故のニュースや深刻さがメディアからも人々の意識から薄まりつつある中、福島県の企業からのこのご寄付。避難者同士はもちろんのこと、受け入れ先の人々との交流を深めながら、福島県とのつながりを維持することを目的に立ち上げられたこのプロジェクトにまさにピッタリのプレゼントでした。

ご好意に応えられるよう、残りの収穫作業もしっかりと行いたいと思います。

大内わら工品様、ハウスのご寄付ありがとうございました!!


2012年10月22日 (月)

保育園児がサツマイモ掘り

10月17日、農場近くの保育園児と恒例のサツマイモ堀をしました。

農場の先生から、「いもは、皮がすぐむけるから丁寧に掘ってください」などとお話の後一斉に掘り始めました。

畑は、最上川右岸にあり、砂地のため砂場感覚で素手で掘るこことが出来ますが、ちょっと無理そうなお子様もおり、農場のボランティアの皆さんにも手伝っていただきました。

「でかいのあるぞー」「こっちのほうが大きいぞ」など秋晴れの圃場に子供たちの歓声が響き上がりました。

作業は約1時間、掘りあげたサツマイモはお土産におすそ分け、給食でいただくそうです。

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2012年10月13日 (土)

避難者の苦悩は深刻です! 震災事故風化阻止キャンペーン 1

東日本大震災:「パパに会いたい」 福島へ帰る母子避難者、家族離れストレス限界 二重生活負担重く /秋田

毎日新聞 1012()110分配信

 ◇放射能不安あるが…

 東日本大震災から11日で1年7カ月。この日を前に、幼い娘と2人で秋田市に避難していた母親が、夫の暮らす福島県へ戻った。福島第1原発事故による放射能汚染への不安は依然強いが、家族が離れて暮らすストレスが母子共にピークに達したためだ。県内では今月1日現在、推定137組の福島からの母子避難者が暮らしているが、不安定な生活に悩みはつきない。【小林洋子】
 「子どものためにと思ってやってきたんだけれど」。吉田真美子さん(30)は深いため息をついた。昨年7月、原発から約60キロ離れた福島県郡山市から秋田市のアパートへ、長女の杏ちゃん(4)と2人で自主避難した。郡山のアパート近くは、今も空間放射線量が年間3・7ミリシーベルト近くに上る。
 秋田では国の緊急雇用対策事業などを利用して働き、生活費や杏ちゃんの幼稚園の費用を稼いだ。夫は避難に積極的に賛成はしなかったが、過去には単身赴任のため仙台と福島で別居生活したこともある。月1回程度は週末に車で様子を見に来てくれた。
 しかし、今夏ごろから杏ちゃんの様子がおかしくなった。「パパに会いたくなった」「パパに電話する」。我慢強い方だったのに、1日10回以上訴えるようになった。父親に電話した後は、アパートの片隅でポロポロと涙を流した。わがままとは思えなかった。
 吉田さん自身も体調を崩すことがあった。「福島にいても秋田にいても苦しい」。補償も期限もない生活で、単身赴任で別居していた頃とはまるで気分が違った。「これ以上このままの生活が続くと子どものためにもよくない」。放射能への恐怖感は消えないが、夫婦で支え合って福島で暮らしていこうと決めた。
 9月末で仕事を辞め、今月6日に秋田市を離れた。郡山市より放射線量の低い須賀川市に移り、家族3人で暮らす。吉田さんは「放射能はなくせと言ってなくなるものでもない。水や食べ物に気をつけながら、休みの日には家族で一緒に出かけるとか、普通の生活を送りたい」と話す。
 県被災者受入支援室によると、福島からの母子避難世帯は4月は155世帯(推定)だったが、徐々に減少している。ほとんどが福島県の避難指定地域以外からの自主避難で、30~40代の母親が多いという。

 福島へ戻る理由は二重生活による経済的な負担やストレス、父親不在の子育てへの不安などが多いという。同室は戻った人について「あまり納得していないよう。安全になったと思って帰る人は少ないのでは」とみている。
10月12日朝刊

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 このような悩みをどうしたら改善できるのか、長井市内にも母親とお子さんの別居生活者が少なからずおられるようです。そこで、「NPO法人レインボープラン市民農場」では、私たちで出来るのは交流・情報交換、そして心と体の健康づくりの場つくりを「農の現場」と定め、行政の支援を得て、避難者の方々が主体となって運営する「福幸ファーム」と名を付けた農場を立ち上げ今年の春から活動をしています。

 農場では、このような方がたの参加をお勧めしてきましたが、まだまだお一人で閉じこまざるを得なくなっていらっしゃる方々も多いと思います。               

農業はいやだ、性に合わないといわずに、お子様と一緒に遊び心で土に触れる挑戦をお勧めします。また、お悩みをお持ちの方は、先ず農場にお出でになり、同じ環境の方々と交流なされ、元気を分けてもらうことも試されては如何ですか。       

これまで、そのような方々を掘り起こす努力をしてきましたが、個人情報の厚い壁に阻まれ限界のようです、地区長さんや民生委員の方々をはじめ情報をお持ちの方々で、該当しそうな方がおられましたら、ぜひご一緒に農場にお出かけ下ださる様お願いいたします。

 なお、農場では「交流の場作り」として、来る10月28日午前9時から長井橋の河川公園で避難者の方々と市民農場のボランティア、更に震災避難者に何か支援をしたいとお考えの市民のみなさんをお誘いして「福幸ファームプレミアミ芋煮会」を開催します。

幻のお米:さわのはな」の試食もあります。閉じこもりかなと思い当たるフシのある方、一歩前に踏み出しませんか。(農場・事務局長)

 

2012年10月 9日 (火)

避難者 カレーを振舞って「長井のこころ」に呼びかけ

去る7日、恒例の「もとまち青空フェスタ」が,心配された雨も関係者の熱気で吹き飛ばし開催されました。

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 当日は、小学生から高校生まで合唱や器楽演奏など、更には飛び込みかなと思われるパホーマンスなどもあり会場の「桑島記念館」は終日にぎわいました。
レインボープラン関係では、いつものように虹の駅の青果物と、推進協議会のレインボーカレーを出店しました。しかし、今年のレインボーカレーは、推進協議会の指導の下に、長井市内に避難しておられる福島県の方々が主役でした。

その主役は、長井市民の皆さまに日ごろのご支援に御礼をしたいと、避難者の方々がレインボープラン市民農場のサポートで立ち上げた避難者主体の農場(支援者の皆さまで命名しました。)に集う皆さん方でした。

この「福幸ファーム」は、置賜総合支庁や長井市、市内の関係団体、更には、いわき市のNPO団体を含めた方々の支援で運営しているもので約60アールの田畑を耕作しています。

メンバーの方々は、ここでの農作業などを通して、交流、情報交換、健康づくりをはかりながら、ふるさと福島の一日もはやい復興を願い、ご自分たちで育てた安全なレインボープラン認証(基準に準じた)野菜などを栽培し、これをふるさとで頑張っておられる皆さまに送る事業を展開しています。

 皆さんは、前日から調理に取り掛かり、約100食分のカレーと福島風のスープをつくり、会場に持ち込み振舞われました。当初、「感謝のお振る舞い」だから無料でと計画していましたが、諸般の事情から200円以上の「福幸ファーム支援カンパ」のお願いとなりました。

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店前には、活動状況のパネルの掲示をし、避難者・被災地の状況を生の声で説明するなど、災害復興支援の風化に歯止めをかけようと笑顔の接待の中にもその心が伝わるイベントのなりなした。お陰さまで、カンパは100名を軽く超え、1000円お札も多く、市民の皆さんの避難者支援・「長井の心」に皆さんで感謝していました。

 この青空フェスタは今年で11年目、当初の開催は、もとまち商店街振興計画づくりの企画段階で出されたもの。当初は、「もともと、商店街は、町のお店側と周辺の村の農家がお互いに助け合って成り立ってきた」という原点があったようだ。このことをベースに、「生産者と消費者、まちとむらが相互に支えあおう、循環しよう」とのレインボープランの理念を商店街振興に活かそうとしたことだったと記憶しています。当時の企画書のサブタイトルは「レインボーの風が吹くまち・もとまち」でした。

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会場近くの知人は言いました「最初は来る人も少なかったが、このような賑わいになるとは・・やはり継続だな」と。


今年から道路を止めて路上に露天が出されており、更に賑わいが生まれていました。
このような関係者のご努力と行政、関係団体、ボランティアの支援があって本町はもとより市の活性化にも結びつくものであり、今後の商店街振興計画にも活かされていくのではないでしょうか。(t)

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